ものかき夢想

ひたすらものかき

取材って大事だね、というお話

以前にこんなSSを描きました。

 

【SS】とある喫茶店でのお話 - ものかき夢想

 

読んでいただいた方はおわかりかもしれませんが、あれは私の実体験を基に描いております。一部フィクションが含まれていますが、本当にわずかな箇所なので敢えて明言はしません。

これを描いててふと気づきました。以前から描いてる完全フィクションのお話よりも随分と筆が動きやすかったのです。一応喫茶店に入った時からお話のネタにしようと思ってノートにメモを取りながらコーヒーを飲んでいたのですが、それにしても描きやすかった。一体何故だろう。

 

まず思い浮かべたのは「それが紛れもない事実だから」。事実なのだから話にブレが出ずにスムーズに描き切ることが出来たのではないか、ということ。確かに想像や妄想だけでは限界がありますし、何より読者の鋭い目によってあっさり見破られてしまいます。

じゃあ事実を基にした内容が大正義ということ?時代小説やSFなんかはどうなるの?と自問。うむ、確かにそうだ。事実だけを描かなねばならぬとなると、想像で描くしかないジャンルでは太刀打ちできなくなる。

 

そこで新たに浮上してきた答えが「取材の量」。前述の通り、私はコーヒーを飲みながらノートにメモを取っていました。それも結構たくさん。店の名前はなんだとか、従業員は何人だとか、コーヒー豆の原産はどこだとか、他のメニューはなんだとか、とにかく隅々までメモしました(怪しまれない範囲で)。

時代劇やSFも、取材できる箇所は当然存在します。時代劇だったら資料館や跡地などに行ったり、もしくは子孫の方にお話を伺うことだって出来ます。SFでも、例えばロボットの構造やデザインなどは取材しないと到底描けません。

ですが、私が以前描いた「先輩と後輩の話」に関してはまったく取材をしていません。全て想像や妄想です。一応リアリティが出るように描きましたが、それでもまだまだ穴は塞がらない印象です。描いてる本人ですらこの感覚なので、賢明な読者さんでしたらそれはもう酷く見えているかと思います。

 

なんで私がいきなりこんな話をしたかというと、少し前から読んでいた「日本語の作文技術」にこんな文章が載っているのを見かけたからです。

 

よく10の取材をして1か2の記事ということを、私のかけだし記者のころ熟練記者から聞いた。おおざっぱな原則として、ほぼこれでよいのではないかと思う。たとえば原稿用紙3枚を書こうというときは、もし材料をすべて使って書きつくすなら20枚か30枚書けるだけの材料があるものを書けということだ。(本多勝一「日本語の作文技術」P279より)

 

先日のSSはおよそ2000文字の作品ですが、流石に材料をフルに使っても20000文字は描けません。せいぜい5000文字くらいが限界です。自分の中のボーダーラインは超えているつもりですが、まだまだ"密度"が足りません。読者は目が鋭いですから、私が気付かない"物語の穴"をホイホイ見つけてしまうことでしょう。そして私はそれを未然に防がないといけません。そのための取材なのです。

 

取材をすれば万事解決、というわけではありません。当然そこからうまいこと文章を構築して物語を創造する必要があります。その前段階で怠けちゃいけないよね、というお話でした。おわり。