ものかき夢想

ひたすらものかき

たいせつなもの

RPGをプレイしているとよく見かける「たいせつなもの」。ボスを倒したりクリアまでの障害を突破するために必要であるなど、大体の場合において物語の進行に不可欠なアイテムであることが多く、そして捨てることができません。

ゲームの中のみならず、我々の中にもそういった「たいせつなもの」が存在すると思います。それは物であったり概念であったり考え方であったり、実に様々でしょう。

私にも「たいせつなもの」が幾つかあるのですが、その内のひとつに手帳があります。

 

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ほぼ日手帳です。こちらです。

ある日ふらっと寄ったLOFTで偶然見つけました。落ち着いたデザインで飽きが来ず、サンプルの手触りがとても良かったので一目惚れしました。しかしお値段が6800円と他に比べて3000円ほど高かったのです。当時お金をあまり持っていなかった私にとってそれは非常に悩ましい値段でした。それまでの私はろくに手帳を上手に扱えた試しがありません。きっと宝の持ち腐れになってしまうと思いました。

しかし、当時の私はその一目惚れしてしまった手帳からなかなか目を離すことが出来ずにいます。どうしよう。いつもの私は1日時間を置いて頭を冷やしてから決め直します。が、その時の私はそう出来ませんでした。というのも、手帳の残りがあと1冊しかなかったからです。明日にはとんでもなく欲しくなっても、明日にはなくなってしまうかもしれない。しかしお金はあまりない。買ってしまうとしばらくひもじい生活が待っている。どうしよう。

物を持つなら気に入った良い物を。手帳を良い物にしたら私の手帳持ち癖もきっと長続きするだろう。そう半ばこじつけて購入しました。ずっと手元に置いておくのに妥協したデザインの手帳はあまりにもやるせない。無駄になったらその時に考えよう。来年までにお金を貯めてもっと良いデザインのがあれば余裕をもって買ってやろう。買った直後はそんな事を考えていました。

 

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しかし次の年になっても、その次の年になっても、このデザインに勝るデザインの手帳カバーは現れませんでした。「これより良いデザインはあるかな」とワクワクしながら探し、結局見つからない年が続きました。

そして最近になって手帳カバーに対する考え方が少し変わってきました。ほぼ日手帳は毎年素敵なデザインのカバーをリリースしてくれます。カバーを比較する際、私が今持っているそれは、デザインの良さに加えて「今まで私と共に歩んできた時間」が付加価値として付け加えられている事に最近になって気が付きました。当然ですが新しいカバーに付け替えるということは、今まで私と共にいてくれたカバーとお別れすることでもあります。何年も私の側にいてくれたこいつを捨ててまで付け替えるべきカバーか?と問うようになりました。当然答えはNOです。

 

仕事中もずっと携帯しています。ハイクオリティな手帳の使い方とか以前ほどは考えなくなり、必要な時に必要なだけ書くことができる安心感が私の心を心地良くしてくれます。しかし何も書かない日があると少し勿体無い気がしてくる、そんなビンボーショー。

 

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今年で4年目。フチや栞の先端がボロボロになってきたので補修が必要かなと思っています。ほぼ日手帳の公式サイトでは修繕サービスもやってくれているみたいなのでそろそろ出してみようと思います。

絶対に捨てられない、私の人生に必要不可欠な「たいせつなもの」です。

 

 

大切なもの

大切なもの

 

 

在りし日の書店員あるいは本屋に求めるもの

若者の読書離れが叫ばれる昨今。紙の本が電子に食われると憂える昨今。僕はそれでも本を読み、その世界に没頭した。小学校で偶然であった夢水清志郎に惚れてから、吉川英治が描く宮本武蔵に心踊り、アガサ・クリスティが展開する密室トリックに取り憑かれ、かれこれ20余年経つ。

あれは確か僕が大学生の頃、ちょうどミステリというミステリを片っ端から読んでいた頃だったと思う。毎日のように本屋へ通っては新たなミステリを買い、読み耽っていた。Kindleがまだ日本へ上陸する前だったから本棚に本が溢れかえり、しかしその光景が大好きな僕は、本の壁を日がな築いていた。

 

 ◇

 

確か駅前の本屋だったと思う。その時の僕は創元推理文庫推理小説を読み耽っていた。知ってる人は知っているレーベルだが、それでも大手出版社とは違いマイナーなので値段が比較的高い。陳列している冊数も少なく、置いていない本屋も少なくない。僕はその創元推理文庫の本を駅前の本屋へ求めに行った。

しかし見つからない。当然だ。さっきも言ったように下手すると置いていない本屋も珍しくない。普段は自力で探しだせなかったらAmazonへ逃げる僕だったが、駅前という立地上、どうしても実際に手に取れる環境を求めたかった。僕は近くで本棚の整理をしていた女性の(おそらく僕と同年代、20代前後)書店員に声をかけた。知らない人と喋ると否応なしに手に汗が滲む僕が自ら知らない人に声をかける、どれほどの勇気であったか想像に難くない。

僕が声をかけるとその書店員はこちらに顔を向けた。声をかけてから気づいた。いくら書店員といえど、あまりメジャーでない創元推理文庫の存在を知っているのだろうか?店員である以上、わからない場合は何かしらのツールで調べてくれるだろうが、その人が知らない事を聞くのがなんだか申し訳なく感じてくる。しかし既に声をかけてしまった以上はもう引き下がることはできない。求めている本、創元推理文庫の陳列棚の所在を尋ねた。

するとどうだ、仕事に疲れていた彼女の顔がみるみるうちに明るくなり、僕をある本棚へと案内し始めた。ずんずん歩く彼女は後ろから見ても楽しそうに見えた。自分が好きなカテゴリについて聞かれた時ついつい暴走してしまう、そんな感じだった。この人は僕と同じように、創元推理文庫が好きなのかもしれない。僕と同じように、ないかもしれない本を本屋で探し求めた経験があるのかもしれない。僕と同じように、探していた本を見つけられた喜びを知っているのかもしれない。結局は予想だが、ただひとつ確実なのは、この人は僕と同じく、本が大好きなのだということ。

創元推理文庫の棚は無事に見つかった。簡単にお礼をすると、書店員は笑顔で自分の持ち場へ戻る。僕はその本棚の中から気になっていた本を手に取り、帰った。

 

 ◇

 

あの日の出来事は僕の中で今も根強く残り続けている。今は昔と違い、電子書籍での書籍の流通が盛んになっている。やろうと思えば誰でも本が出版できる。電子だからこその強みが如実に現れているといえよう。しかして紙にも紙の良さがある。何より書店員との交流がある。僕が、あるいは本好きが求めているのはそういうところにあるのかもしれない。

 

 

月光ゲーム―Yの悲劇’88 (創元推理文庫)

月光ゲーム―Yの悲劇’88 (創元推理文庫)

 

 

PV数だったらいいのか

ぼんやり眺めているFacebookで、少し前にブロガー界隈でこんな話題がありました。

 

「お金稼ぎの為にブログ記事を書くのはよろしくない」

 

どういった経緯でそんな話が出てきたのかは謎ですが、それに関しては私も概ね同意できます。書き手側はわかりにくいと思いますが、読み手側には「書き手がどのような意図を持ってその記事を書いたのか」がなんとなーくわかるものなのです。そういうものなのです。

 

それはいいとして、ひとつ気がかりだったのは「じゃあPV数はええのんか?」という疑問。

私も以前は月10万PVを目指してブログを更新し続けていました。プロブロガーというか、ブログで僅かばかりでも収益が得られたら嬉しいなぁとかぼんやり思ったものです。今はそんな事を考える気力が殆ど皆無ですが。

 

PV数に関しても「PV数を考えながら書く記事は面白くない / 内容が薄い」とよく言われていたものです。しかし、お金稼ぎの話題ほど敬遠されてはいなかったと思います。PV数がなければ反響もない、認知度が広まらない、続ける気力が湧いてこない。なので、PV数を稼ぐためのテクニックが考えられ、伝達され、利用され、廃れていきます。私もその流れに乗っていました。

 

PV数を獲得するためにまず教えられる技術がタイトルの書き方でしょう。「わかりやすい具体例や数字を盛り込んでクリックしてもらえるようなタイトルを書かないといくら良い記事でも読んでもらえません」。本やセミナーでこういうことをよく言われたと思います。

あとはブログのデザインでしょうか。カラムをどう組むとか、広告をどこに置くとか、プロフィール欄には何を書くとか。PVをたくさん稼いでいる人のお話を参考にして実際に使ってみたり。当時はなるほどなーと思って聞いていたのですが、そういった講習では「良い記事の書き方」は教えてくれません。

考えてみれば当然なのですが、そういった個性に関わる部分は自分で見つける他ありません。そういった本やセミナーなどで得た技術をフル活用しても、肝心の個性が身につきません。そのため、似たり寄ったりなデザインのブログがイベントレポートや開封の儀やアプリの使い方講座を公開してインターネットの海を氾濫させているのだと思います。

 

長いので例えます。職業すっぴんの光の戦士全員に銅の剣を与えた感じ。

個性という名の職業を身につけ、その職業に合った技術という名の武器を身につけないと大きなダメージは与えられません。戦士は剣、竜騎士は槍、魔法使いは杖を装備しないとそれぞれの真価を発揮しません。そんな感じです。「じゃあどうやったらジョブチェンジできるんだよ」という話ですが、これもまた経験値を積む他ありません。光の戦士だって地道にゴブリンを倒し続けたからこそ魔王を倒せるまでに成長したのです。

 

実際、他の人の技術を参考にするのは大いに結構だと思うのです。ただ、例えばタイトルにしても「面白そうなタイトルだったのに中身が残念すぎた、時間返せ」という感想を読者に抱かせる原因を作っているのは、その記事を書いている自分自身である事を自覚してほしいです。アプリの使い方がわからずに検索をかけても超基本的な事しか書いていない同じような記事が多数ヒットしてイライラすることはないですか?少なくとも私はそういう経験を数えきれないほど体験してきたので、同じような記事は書かないように気をつけているつもりです。開封の儀とか。

 

かつてPV数をアホほど気にしていた貴様が何を言うとるんじゃという話ですが、どうにもこうにも気になってしまったのでぼんやり書いた始末です。

 

 

ブログ飯 個性を収入に変える生き方

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